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大教育者のことば

2008年01月21日(月曜日)

今週は、日本史上に輝く数多の偉人たちが残した「教育の名言」の中から、選りすぐりの99の名言を収録した『大教育者のことば』(井上久雄・著/川口雅昭・訳編)をご紹介します。本書はそれぞれの名言を、(1)原文、(2)口語訳、(3)解説によりわかりやすく説明していますが、ここでは口語訳のみをご紹介しますので、ぜひ、原文の音の響きや解説の奥深さなども味わっていただきたいと思います。

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2008年01月22日(火曜日)

全ての芸事は、よい師匠について学べば無駄というものはない、といえる。その心は、上級レベルのことを習えば、必ず中級レベルのことは自得することができる、ということである。しかしながら、この和歌の道において大切なことは、人からの教えによるものではなく、自分の心から発するものである。ただ、心がその境地に至ると至らないことが、そのまま歌となるのである。その心を伝える、ということはできることではない。
【13「人の教によらず」藤原基俊の言葉】

2008年01月23日(水曜日)

私は人を信じて失敗するとしても、人を疑って失敗するということがないようにしたい。
【27「人を信ずるに失するとも」吉田松陰の言葉】

2008年01月24日(木曜日)

そもそも才能というものは、草や木がそれぞれ異なって別なものであるように、柔らかさや堅さが異なり、紅や白と色が違い、それぞれ思い思いの花を開かせ、実を結ぶのと同じである。それぞれの人間が同じようにいかないのは、顔が同じでないように、すべてが一様に丸く、また四角にもならない様なものである。
【32「さまざまの花のひらき」細井平洲の言葉】

2008年01月25日(金曜日)

世間の人々のことわざに、武士の武士らしいのと、味噌の味噌らしいものは、使えないというんは、公家か町人らがいい始めたことであろう。できるだけ、武士は武士らしく、味噌は味噌らしいのがよい。武士は公家らしくても、僧侶らしくても、農民、商人らしくてもいけない。味噌は生臭かったり焦げ臭かったりしてもいけない。ただ、元々の味噌らしいのがよいのだ、と仰った。
【35「味噌の味噌くさきは」徳川家康の言葉】

2008年01月26日(土曜日)

子供の頃から、学問の余暇を惜しんで、意味のない遊びをするべきではない。習字、読書、諸芸の学習をもって、遊びとするべきである。このようなことは、最初は面白くないかもしれないが、しばらく習っていれば、後は心を晴らすものとなって、煩わしいと感じることはなくなる。大体、全てのことは、余暇を利用してできあがっていくものであるから、余暇ほど身の宝であるものはない。
【66「遊び」貝原益軒の言葉】

2008年01月27日(日曜日)

幼いとき、子供をお寺に預けたりするということは、必ずしも、習字や学問修行のためというばかりではない。お寺というところへは、位の上と下の区別なく人が行き来し、修行の人までも出入りするものである。だから、人にもまれ、多くの人々の行う様を見たり、また、言葉などを交わせば、角もなくなり、人に慣れるというものである。
【72「人にもまれ」多胡辰敬の言葉】

 
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